実はサウンドが鍵?!サウンドメイクから迫るレッド・ツェッペリンの魅力|レコード出張買取&宅配査定

初期のハードロックと言えば、皆さんはどんなバンドを思い浮かべるでしょう。ディープ・パープル、ブラック・サバス、グランド・ファンク・レイルロード…いろいろなバンドの中にレッド・ツェッペリンの名が入らない事はまずないのではないでしょうか。

これら1970年前後に登場した初期ハードロックは、以降に続いたハードロックやヘヴィメタルとは、印象が違う音楽です。そこには、様式化する以前の広い音楽性のほか、以降のHR/HMとは明らかに違うサウンドメイクに対する考え方が影響しているのではないでしょうか。

ハードロックを代表するバンドのひとつレッド・ツェッペリンは、12年に及ぶバンド活動の中で大きくサウンドを変化させました。そして「胸いっぱいの愛を」「移民の歌」「天国への階段」といったレッド・ツェッペリンの名曲は、すべて初期に集中しています。

今回は残されたレコードを通して、レッド・ツェッペリンのサウンドメイクに迫ってみようと思います。


スタジオ・レコーディングでのロック録音の進化

Led Zeppelin (Atlantic, 1969)
Led Zeppelin II (Atlantic, 1969)
Led Zeppelin III  (Atlantic, 1970)
Untitled album (Atlantic, 1971)

レッド・ツェッペリンのレコード・デビューは1969年。ビートルズが【プリーズ・プリーズ・ミー】を発表した6年後に、ツェッペリンのサウンドが生まれているのは脅威です。両者のサウンドに隔絶した差を感じない人などいないでしょう。

では、英米のポピュラー音楽の録音は、60年代を通して劇的に進化したのでしょうか。それはある面では正解かも知れませんが、やや誤謬を含んだ言い方かもしれません。何故なら、ジャズにせよ映画音楽にせよクラシックにせよ、60年代どころか50年代でも、はるかに素晴らしい録音を残しているからです。モダン・ジャズの巨人マイルス・デイヴィスの名盤【カインド・オブ・ブルー】は息をのむほどに美しい音を聴くことができますが、録音は1959年。ビートルズ登場からツェッペリン登場の間に起きたのは、スタジオ録音の革命ではなく、アンプリファイされて大音量化した音楽のスタジオ録音の革命でした。

とはいえ、初期のハードロック・バンドが登場した時期も、ラウドなエレクトリック・ミュージックの録音は確立しきっていなかったように思えます。

68年のジミ・ヘンドリックス【エレクトリック・レディランド】収録の「ヴードゥー・チャイルド」や、ディープ・パープルのデビューアルバム【紫の影】、そして69年のツェッペリンのファースト・アルバムとセカンド・アルバムなどでは迫力あるサウンドを聴くことができますが、それより後に発表されたはずの69年のグランド・ファンク【オン・タイム】や70年録音ブラック・サバス【パラノイド】は、正直のところ迫力に欠けた音になっています。ではグランド・ファンクのサウンドが迫力のないものであったかというと、ライヴ録音では暴力的と言えるほど凄まじい音を発しています。

スタジオでそれまでの音楽にはなかった、スモールコンボが出すアンプリファイドされた大音圧の音をどのように録音して表現するか、このメソッドはまだ共有されていない段階だったのでしょう。ではなぜ初期レッド・ツェッペリンのサウンドは迫力ある音になったのでしょうか。ここに3人のレコーディング・エンジニアが登場します。


3人のレコーディング・エンジニア

初期レッド・ツェッペリンをアルバムに置き換えると、デビュー・アルバム【Led Zeppelin】から4枚目のアルバム【Untitled Album】までと言ってよいかと思いますが、この録音に携わったレコーディング・エンジニアで中心的な役割を果たしたのが、ローリング・ストーンズ、フー、キンクスといったビートロック・バンドのメイン・エンジニアを務めたグリン・ジョーンズ(1st)、ジミ・ヘンドリックスのメイン・エンジニアとして有名なエディ・クレイマー(2nd)、ジミ・ヘンドリックスの録音セッションでエディ・クレイマーのセカンド・エンジニアを務め、グリン・ジョーンズの弟でもあるアンディ・ジョーンズ(3rd, 4th)、この3人でした。

そして、この3人のエンジニアに共通して言えることは、マルチ・マイキングというニアマイクでのセパレートされたサウンドにますます近づいて行った時代に、オフ・マイクに近い舞キングを活用して、反射音をはじめとした多くの音のまじりあった複雑な音を録音したことです。

【Led Zeppelin】でメイン・エンジニアを務めたグリン・ジョーンズは、ドラム録音においては伝統的な方法を取ったエンジニアでした。そしてその延長で、60年代を通して大音量化していくロックの迫力あるサウンドをどのように捉えるかに、自分なりの道を確立しました。

ドラムの録音は、少ないマイクでドラムセット全体を録音する方法と、スネアやタムやシンバルなどすべてにマイクを配置するマルチマイキングに大別できます。ドラム録音の歴史は、マイクが少ないところから徐々に多くなっていった歴史をたどっており、50年代のジャズなどはキットやオーバーヘッドと呼ばれるドラムの上部に配置されたマイクと、バスドラム用に立てられたマイクをミックスして録音されるものが多いです。ドラムの各楽器にマイクを配置するマルチ・マイキングは、それぞれの音をクリアに録音でき、また演奏の際に音量にばらつきがあった場合もあとから修正できる利点があります。一方、少ないマイクで収音する方法は、楽器からマイクを離すために、直接音以外の音―例えばドラムの胴鳴り―も収音でき、迫力あるサウンドを録音できる一方、あとからセットのバランスを調整することができず、また楽器も遠くに感じるようになります。

グリン・ジョーンズは、レッド・ツェッペリンの大音量でドラムを叩くジョン・ボーナムの迫力あるサウンドを録るために、俗に「キット」と呼ばれドラム上方に配置された2本のマイクだけで録音をしました。

セカンド・アルバムのいくつかの曲で録音を担当したエディ・クレイマーは、ジミ・ヘンドリックスのメイン・エンジニアとして有名ですが、実は自身が音大に進んでジャズを演奏していた音楽家でもあります。彼がジミ・ヘンドリックスの録音を行う際に、レコーディング・スタジオのガラス面にマイクを立て、反射音を拾ってヘンドリックスの録音を行ったことがあります。やはり直接音だけでなく、反射音をはじめ多くの音が混じった複雑なサウンドの中にロック迫力の音があると捉えていたのでしょう。

ツェッペリンのジョン・ボーナムのドラム・サウンドで有名な曲に、フォース・アルバム収録の「When the Leevee Breaks」という曲があります。これは、グリン・ジョーンズの弟でもあるアンディ・ジョーンズが、大邸宅の高い天井を持ったロビーにドラムを設置し、その高い位置にオバーヘッド・マイクを設置して録音したものです。

初期レッド・ツェッペリンの迫力あるサウンドは、オフマイクを活用して直接音以外にもサウンドしているものすべてを収録した点に、秘密のひとつがあったといえるでしょう。


ドラムの重心とバンドアンサンブル

もうひとつ、初期レッド・ツェッペリンの迫力あるサウンドを支えているものがあります。サウンド面でのバンド・アンサンブルの良さと重心の低さです。

ロック・バンドの録音をミックスする時、多くのエンジニアは周波数特性別に、低い音から順に音を足して行きます。一番低いのがドラムのキック。次にベース・ギター。次にドラムセットを作り、ギター、ピアノ、ヴォーカル…大体こういう順で音をミックスしていきます。

レッド・ツェッペリンの場合、この一番下に来るキックの低さと音量が違います。特にセカンド・アルバム以降は、26インチ、胴の深さも通常のものより深い15インチです。しかもそれがキック用のマイクではなくオーバーヘッド・マイクで収録できてしまうのですから、尋常ではない音圧です。さらに、キックの次に低い音のフロア・タムが2つ並べられるという、極端に重心の低いドラムセットが組まれています。

そして、レコードを聴くとわかるように、初期ツェッペリンのアンサンブルは4人のプレイヤーのバランスが絶妙です。ニュー・ヤードバーズとしてスタートしたバンドなので、ギターのジミー・ペイジを主としたサウンドメイクやアンサンブルを作ることも出来たのでしょうが、実際には4者が対等の関係で作られています。何かを前に出すと、必ず何かが下がってしまいます。初期ツェッペリンのサウンドは、何ひとつ埋もれさせなかったことで、生まれたものでしょう。野太いギターもドラムも、オーケストレーションを統治しているベースやオルガンも、重心の低い中で高音を埋めるヴォーカルも、すべてが生かされたのです。


なぜサウンドが変わったのか

House of the Holy (Atlantic, 1973)
Physical Graffiti (1975)
Presence (Swan Song, 1975)
In Through the Out Door (Swan Song, 1979)

こうした初期レッド・ツェッペリンのサウンドは、なぜ変わったのでしょうか。

73年に発表された5枚目のスタジオ・アルバム『House of the Holy』は、ギターのジミー・ペイジとベースのジョン・ポール・ジョーンズが中心になって作られています。録音も主にミック・ジャガーの別邸で行われており、さらにヴォーカルのロバート・プラントは、デビュー時のあの太いハイトーンを出せなくなっています。バンド・サウンドを軸に組み立ててきたアルバムが、ここでは作品集に転換されました。

6枚目のスタジオ・アルバム『Physical Graffiti』の時には、ツアーに明け暮れる日々にうんざりしたベース/オルガンのジョン・ポール・ジョーンズが脱退の意思を伝えており、これでバンド・アンサンブルを実質的にコントロールしていた人間が欠けた状態になり、アンサンブルが崩れます。また、この頃からツェッペリンは麻薬に飲み込まれていきました。

7枚目『Presence』に時期はロバート・プラントが以降のツアーがすべてキャンセルになるほどの交通事故に逢い、リーダーのペイジですらヘロインに溺れる状態の中、なんとかジミー・ペイジ主導で作られたといういわばギター・アルバムとなりました。ギターはいいのですが、バンド・アンサンブルはすでに失われています。

ラスト・アルバム『In Through the Out Door』は、ドラッグや酒に溺れるジミー・ペイジとジョン・ボーナムを置いて、ロバート・プラントとジョン・ポール・ジョーンズが中心となって制作したアルバムでした。ヤマハGX-1の音が目立つ、ニューウェイヴからの影響も強く感じる音楽は、良し悪しはまた別として、初期の迫力あるハードロック・サウンドはすでにありませんでした。

つまり、サウンド・メイク以前に、4人が対等にアンサンブルできた作品は、5作目以降にはひとつもなかったのでした。


レッド・ツェッペリンへの熱い想い

店主の私は、若い頃から『Led Zeppelin I』や『Led Zeppelin IV』などを聴き込み、オリジナル盤のプレス違いからブート音源・ライブ映像に至るまで、レッド・ツェッペリンにどっぷり浸かってきた生粋のファンの一人です。

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ロックのスタジオ録音には、ふたつのピークがあったように感じます。ひとつはクリームからレッド・ツェッペリンに至るまでの66年から70年にかけての分厚く立体感のあるサウンド。もうひとつは、AOR に見られる奇麗に作り上げられたサウンド。前者のサウンドを生み出した名盤のなかに、初期レッド・ツェッペリンは外すことのできない存在として、これからもずっと聞き継がれていくのではないでしょうか。

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